鎌倉御霊神社の面掛行列 ― 2010/09/20
鎌倉市坂ノ下にある御霊神社の例大祭を見に行く。
平安時代後期の創建といわれ、武将鎌倉権五郎景政を祭るこの神社の例大祭は、境内での神楽が終わった後、神輿行列に古い面を被った者たちが登場する、いわゆる面掛行列で有名である。毎年9月18日に行われており、前々から一度見てみたいと思っていた。
尋常ではなかった今年の猛暑も一段落し、天気も良さそうだったので、満を持して出かける。
今年は休日と重なっていて、予想はしていたもののかなりの人出だった。 神楽は午後1時から執り行われたが、湯立ての様子もよく見えないくらいの大盛況。
行列は2時半に始まるということなので、行列の行われる道をぶらりと歩く。 意外なほど海が近い。
頃合を見て、行列の出発場所の力餅屋さんの前に戻ると、すでに凄まじいほどの人で混雑、非常に歩きにくいし、写真など撮れないのではないかと思ったが、通りを行ってまた戻ってくるというので、チャンスを待つことにする。
以下、なんとかねばって撮った写真で、行列の様子を紹介する。
先頭は、錫杖のついた金剛杖をもった二人の少女、陣笠を被った二人の少年。 そのあと囃子太鼓、幟と、先に何かを巻きつけた棒をもった少年、少女たちが続く。
天狗の面を被った猿田彦と剣を捧げもつ少年。
獅子頭(神社の入口に置いてあったものだ)を頭に乗せた二人の男。
そのあとに、十人の面掛衆が練り歩く。
面はかなり古いもので、怪異な印象を受ける。 用材は桐で、面の裏には、『明和5年(江戸中期)戊の子の年九月吉日中村忠兵衛これをつくる』と朱書きが残っているという。 伎楽、舞楽で使われた面を模して制作されたものと言われている。 伎楽は推古天皇の時代に百済人味摩之(みまし)によって中国南部の呉から伝えられた伝統演劇だがその後廃れた。舞楽は奈良時代に渡来し、平安時代に大成、今なお皇室の式楽として残されているもの。正倉院に164個の面が収蔵されているという。インターネットの検索で出てくる伎楽面、舞楽面の写真と見比べてみると、似ているようなそうでもないような・・・・・
一の面 爺(じい)
二の面 鬼(おに)
三の面 異形(いぎょう)
四の面 鼻長(はななが)
五の面 烏天狗(からすてんぐ)
六の面 翁(おきな)
七の面 火吹男(ひょっとこ)
八の面 布袋(ほてい) 福禄寿の原型
九の面 おかめ 田遊びの孕み女の遺風らしい。
十の面 さんば 格好は神楽巫女で、面は伎楽の呉女に似ていなくもない
面掛衆の後は、太刀や木靴をもつ少女たち。
神楽で演奏していた神官たち。
そして最後に神輿。
行列のあと神輿が神社に帰り、おひらきとなる。
鶴岡八幡宮の例大祭のような大仰さはいっさいなく、人びとが自ら制御できる範囲で取り仕切っている祭礼で、非常に好感がもてた。祭りが人びとの想像力の解放でありえた時代が偲ばれた。この規模でいつまでも続いて欲しいものだ。
祭りの後の菓子屋さん。
平安時代後期の創建といわれ、武将鎌倉権五郎景政を祭るこの神社の例大祭は、境内での神楽が終わった後、神輿行列に古い面を被った者たちが登場する、いわゆる面掛行列で有名である。毎年9月18日に行われており、前々から一度見てみたいと思っていた。
尋常ではなかった今年の猛暑も一段落し、天気も良さそうだったので、満を持して出かける。
今年は休日と重なっていて、予想はしていたもののかなりの人出だった。 神楽は午後1時から執り行われたが、湯立ての様子もよく見えないくらいの大盛況。
行列は2時半に始まるということなので、行列の行われる道をぶらりと歩く。 意外なほど海が近い。
頃合を見て、行列の出発場所の力餅屋さんの前に戻ると、すでに凄まじいほどの人で混雑、非常に歩きにくいし、写真など撮れないのではないかと思ったが、通りを行ってまた戻ってくるというので、チャンスを待つことにする。
以下、なんとかねばって撮った写真で、行列の様子を紹介する。
先頭は、錫杖のついた金剛杖をもった二人の少女、陣笠を被った二人の少年。 そのあと囃子太鼓、幟と、先に何かを巻きつけた棒をもった少年、少女たちが続く。
天狗の面を被った猿田彦と剣を捧げもつ少年。
獅子頭(神社の入口に置いてあったものだ)を頭に乗せた二人の男。
そのあとに、十人の面掛衆が練り歩く。
面はかなり古いもので、怪異な印象を受ける。 用材は桐で、面の裏には、『明和5年(江戸中期)戊の子の年九月吉日中村忠兵衛これをつくる』と朱書きが残っているという。 伎楽、舞楽で使われた面を模して制作されたものと言われている。 伎楽は推古天皇の時代に百済人味摩之(みまし)によって中国南部の呉から伝えられた伝統演劇だがその後廃れた。舞楽は奈良時代に渡来し、平安時代に大成、今なお皇室の式楽として残されているもの。正倉院に164個の面が収蔵されているという。インターネットの検索で出てくる伎楽面、舞楽面の写真と見比べてみると、似ているようなそうでもないような・・・・・
一の面 爺(じい)
二の面 鬼(おに)
三の面 異形(いぎょう)
四の面 鼻長(はななが)
五の面 烏天狗(からすてんぐ)
六の面 翁(おきな)
七の面 火吹男(ひょっとこ)
八の面 布袋(ほてい) 福禄寿の原型
九の面 おかめ 田遊びの孕み女の遺風らしい。
十の面 さんば 格好は神楽巫女で、面は伎楽の呉女に似ていなくもない
面掛衆の後は、太刀や木靴をもつ少女たち。
神楽で演奏していた神官たち。
そして最後に神輿。
行列のあと神輿が神社に帰り、おひらきとなる。
鶴岡八幡宮の例大祭のような大仰さはいっさいなく、人びとが自ら制御できる範囲で取り仕切っている祭礼で、非常に好感がもてた。祭りが人びとの想像力の解放でありえた時代が偲ばれた。この規模でいつまでも続いて欲しいものだ。
祭りの後の菓子屋さん。
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