にぎやかな天体2010/04/15

 わが地球が太陽のまわりを回転する一惑星であるという知識に疑いをもったり、けちをつけたりすることは、衛星によって撮影された地球の写真をみるだけで、つまり直観の範囲においてさえ、ありえない時代になってしまった。また、種々の観測データにより、太陽系に人間のような知的生命体が存在する可能性がないこともほぼ確実となり、宇宙になんらかのロマンを求める人々の目は、しだいに太陽系の外に向けられていく。太陽系などは、わが銀河の厖大な星々の数のなかで、ほんの塵のような存在にすぎず、そのわが銀河もまた、無数にある星雲のなかの塵のような一部にすぎず・・・・・と果てしもない話が続くことになるのだろう。

 かつて海の向こうに何があるのかが冒険家たちの夢をかきたてたように、宇宙の果ては人々の想像力を刺激してやまない。宇宙の天文学的観測の進歩は目ざましく、今や地上約600km上空の軌道上を周回するハッブル宇宙望遠鏡が宇宙の果てを睨んでいる。また、更なる精度の向上を目ざして、後継機としてジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (JWST) の打ち上げも2013年に予定されているらしい。



 かつてコロンブスが実践したように、議論よりもまず宇宙に船出しようと考える人がいても不思議はないが、宇宙においてはそう簡単ではないらしい。

 太陽型の恒星としてもっとも近いのは、ケンタウルス・アルファ星で、距離は4.3光年(光の速度で4.3年かかるという距離)である。しかし、いくらなんでも光速のロケットはあり得んだろうと、とりあえず秒速30kmで計算してみる(ボイジャー2号の速さは15.484km/sであるが、こういう問題を考えるときは、これくらいのアバウトさが必要である)。


 光の速度は30万km/秒だから、秒速30kmは光の速度の1万分の1である。したがって、到着は4.3万年後である。?????。ノアの箱舟みたいな高速宇宙船を作ったとして、石器時代から現代まで人類が進化したのと同じくらいの時間かかるということ。うーん、こんなに時間がかかると、何のために出発し、着いて何をしようというのか、人々は忘れてしまうのでは、・・・・・なんて、まじめに考えるのがばからしくなってくる(この宇宙船の時間尺度が、私たちが単純に思っているものと同じかどうかという、相対論以来の宿題が残っているにしても)。

 ちなみに、わが銀河から220万光年離れているアンドロメダ星雲は、100km/sでわが銀河に急速接近中らしい。推進エンジンを積んでるわけでもないのに何故こんなに速いのか、宇宙は神秘に満ちている。(周知のように、アンドロメダ以外の銀河は、急速度で私たちから遠ざかりつつある。)

 つまり、この宇宙空間というのは、4万年旅して、誰一人にも出会うことのない、人間としてはヒジョーに寂しい空間なのですね・・・・・。

 なんだか、ロマンがあるようなないような話になってしまうのだが、人類の未来というものに過度の期待をもつのが意味のないことだけは確かなようなので、人類などというちっちゃな存在は忘れて、宇宙の命運を、頭の中だけで、つまり想像力のなかだけで追いかけてみようという気になる。

 先週の日曜日のNHK番組で、ハッブル天体望遠鏡がとらえた134億年だか135億年だか前の宇宙を眺める(ビッグ・バン理論から逆算してという意味では確かにそうなんでしょうが)と銘うたれた映像が紹介されていた。それに刺激されて久々に、COBE以来、インフレーション理論(実証手段のない理論ってどうしてこんなにおもしろくないのだろう)という、つじつまあわせだけのようなものばかり(相対論は単なる時空のつじつまあわせの理論だったのではなく、物質の性質に深く関連した内容をもっていたがゆえに、重要なものになったのだ)で、宇宙熱も少し冷めて、最近あまり見ていなかったNASAのサイトで、さまざまな星や銀河の映像などを眺めていると、宇宙論への興味が再燃してきた。






 それにしても、なんというにぎやかさ、魑魅魍魎、百花繚乱。奇怪なモンスターたちが跋扈する楽園のような・・・・・・。「われわれは神の頭の中に浮かび出る虚無的な考えそのものだ」というカフカのことばが思いだされる。