芭蕉の句2010/04/04

芭蕉は、俳句のことを「生涯の道の草」と言っていたそうだ。

 だから、読む方も俳句を辿りながら、道端の草に目を留めるように、気に留まった句を拾ってゆく。あまり深く考えず、印象に残るかどうかだけ。動きの気配と静が調和している句が私の好みだ。

― 起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶

今回読んではじめて目にとまった句。「起きよ起きよ」ということばがおもしろい。



― もの一つ我が世はかろきひさごかな

― 旅人と我が名呼ばれん初時雨

芭蕉の句で私にまず思い浮かぶのがこの句。旅に出ることが現実化するときの自分の姿と情景を思い重ねて、浮き立つような感情が込められている。このような素直な発想を大事にして言葉にする直観性が、芭蕉のなによりの魅力だと思う。


― 若葉して御目の雫拭はばや

― あの雲は稲妻を待つたよりかな

― 雲の峰いくつ崩れて月の山

 いくつもの山を越えてゆく登山のようすが思い浮かぶ。天候が悪く断念したきりで、結局月山に私は登ったことがない。麓からも山の形はよくわからなかった。しかし、森敦の小説のおかげで、何かよく知っているような錯覚のある山である。写真は鳥海山。こちらの方は麓からよく見えて、登ってみたくなる目標となる山である。いくつもの雲の峰が崩れてゆくのが楽しい山旅だった。




― 春雨や蓬をのばす草の道

― そのままよ月も頼まじ伊吹山

 伊吹山は、新幹線で大阪方面に行くとき、関が原を過ぎてから右手に見える山である。冬などは冠雪していて風格のある山だなと気になっていた。写真は車で通りかかったとき止まっている伊吹山をはじめて見たときのもの。



― やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

― 数ならぬ身とな思ひそ魂祭

 尼寿貞という不遇な女性の死を悼んだものらしいが、このような感傷を含んだ句は芭蕉にはめずらしい。魂祭という語をはじめて知った。なかなか味のある語ではないか。
(写真は青森仏ヶ浦)




 解釈は常に余計なことばかり語る。作品を作品として理解しようとしなければ、いったい何を理解しようというのだろう。作品だけが作品について語っている。