『方法序説』を読む ― 2010/02/27
いつか読むことがあるにちがいないと思って買い込んだ一群の哲学書の類が部屋の隅に積まれている。なかなか手をつける気になれないのが正直なところ。ところが、私が仕事に見切りをつけたというより、社会が私の仕事に見切りをつけ始めた今日この頃、少しずつ関心がこれらの書物に向かい始めるのを感じる。仕事など、もともと生活のためにやっているにすぎず、結局誰かが引き継いでやってくれるものだし、それでいいのだ。
デカルトの著作集(白水社版全4冊)も、本棚の上板の上、台に登らないと手の届かないところに積まれている。
『方法序説』を読んでみる。そうとう昔に読んだことはあるはずだが、そのときの印象は次のようなものだったと思う。学校でひととおりの学問を学び、社会に出て実地に様々な修練を積んだ後に、自らの学問的探究の出発点を確認するために書かれたパンフレットのような書物。知の確実性、真理の見極め方についての原則が簡明に書かれている、のだと。今回読んでみて、基本的にはそのとおりだけれども、少し違うニュアンスを感じもしたので、それを記してみる。
哲学とは「知」に対する反省のことだ、と私たちは漠然と考えている。前提となる「知」は、世間的な常識であったり、精神に安定をもたらす認識であったり、科学的な知識であったりする。しかし、反省のための原理ないし方法をきちんと考えることはあまりない。というのは、前提となる「知」が何かによって、そのアプローチはそれぞれ異なっているのだから。そんな仕事は歴史家か専門家の仕事だろう、と。しかし、まさに「知」を建設するために、問題意識を欠いた形而上学的空論から脱却し、一から知の方法について宣言しなければならない時代があったのだ。
デカルトが当初建設しようとしていた「知」とは、今日の私たちから見れば、数学とか自然科学の問題に属している。翻訳で「学問」と訳されているのは、原語はScience だ。しかし、当時の自然科学は、教会の迫害にさらされていた。大学のスコラ哲学は無神論の芽を摘み取る思想検閲のような役割を果たしていた。1633年、ガリレオの地動説への異端審問による有罪判決があり、デカルトは彼の研究成果であった『宇宙論(世界論)』の出版を断念している。
デカルトは無神論者ではなかったが、小賢しい知に対して徹底的懐疑の眼を向けたモンテーニュが、宗教的には保守の立場をつらぬき、自己を守ったように、デカルトも自身を守る必要があった。、デカルトは方法的懐疑を述べたが、モンテーニュのような古典的懐疑主義者ではありえなかった。ほかならぬ知の建設を志していたからだ。
彼は結局、『方法序説およに三つの試論(屈折光学、気象学、幾何学)』を1637年に公刊するが、方法序説の第六部に、『宇宙論(世界論)』出版の断念の理由と真理に対する彼の厳しい信念が述べられている。その弁明は私たちの胸を打つものがある。彼はすでに自然科学の方法が、首尾一貫した仮説と実験による検証にあること、そしてそれを充分にやりとげるのがいかに困難な事業であるかを理解している。中世以来、アリストテレスの哲学言説の議論に終始し、実地に検証してみることすら思いつかず、古代の哲学的権威を鵜呑みにしてきたスコラ哲学の敗北は歴然としている。
「反駁したい点をいくつかお持ちになる方がいらっしゃれば、どなたでもごめんどうながら私の本の出版社あてにお送りいただくようにお願いします。出版社を通して知らせを受けしだい、私の回答を同時に添えるようにつとめるつもりです。こうした手だてによって読者は、両方をいっしょに見て、ほんとうかどうかをそれだけ判断しやすくなるでしょう。」(著作集1・p74)
このような真摯な態度は、今日でも模範とすべきではなかろうか。彼は『省察』という書物を、反論と答弁をつけて出版し、この約束を実現したといえる。うかつだが、この反論と答弁が付された『省察』を読みたくて、わざわざこの著作集を入手したのだということをいま想い出した。まだ、この『省察』読んでないけれど。
デカルトの著作集(白水社版全4冊)も、本棚の上板の上、台に登らないと手の届かないところに積まれている。
『方法序説』を読んでみる。そうとう昔に読んだことはあるはずだが、そのときの印象は次のようなものだったと思う。学校でひととおりの学問を学び、社会に出て実地に様々な修練を積んだ後に、自らの学問的探究の出発点を確認するために書かれたパンフレットのような書物。知の確実性、真理の見極め方についての原則が簡明に書かれている、のだと。今回読んでみて、基本的にはそのとおりだけれども、少し違うニュアンスを感じもしたので、それを記してみる。
哲学とは「知」に対する反省のことだ、と私たちは漠然と考えている。前提となる「知」は、世間的な常識であったり、精神に安定をもたらす認識であったり、科学的な知識であったりする。しかし、反省のための原理ないし方法をきちんと考えることはあまりない。というのは、前提となる「知」が何かによって、そのアプローチはそれぞれ異なっているのだから。そんな仕事は歴史家か専門家の仕事だろう、と。しかし、まさに「知」を建設するために、問題意識を欠いた形而上学的空論から脱却し、一から知の方法について宣言しなければならない時代があったのだ。
デカルトが当初建設しようとしていた「知」とは、今日の私たちから見れば、数学とか自然科学の問題に属している。翻訳で「学問」と訳されているのは、原語はScience だ。しかし、当時の自然科学は、教会の迫害にさらされていた。大学のスコラ哲学は無神論の芽を摘み取る思想検閲のような役割を果たしていた。1633年、ガリレオの地動説への異端審問による有罪判決があり、デカルトは彼の研究成果であった『宇宙論(世界論)』の出版を断念している。
デカルトは無神論者ではなかったが、小賢しい知に対して徹底的懐疑の眼を向けたモンテーニュが、宗教的には保守の立場をつらぬき、自己を守ったように、デカルトも自身を守る必要があった。、デカルトは方法的懐疑を述べたが、モンテーニュのような古典的懐疑主義者ではありえなかった。ほかならぬ知の建設を志していたからだ。
彼は結局、『方法序説およに三つの試論(屈折光学、気象学、幾何学)』を1637年に公刊するが、方法序説の第六部に、『宇宙論(世界論)』出版の断念の理由と真理に対する彼の厳しい信念が述べられている。その弁明は私たちの胸を打つものがある。彼はすでに自然科学の方法が、首尾一貫した仮説と実験による検証にあること、そしてそれを充分にやりとげるのがいかに困難な事業であるかを理解している。中世以来、アリストテレスの哲学言説の議論に終始し、実地に検証してみることすら思いつかず、古代の哲学的権威を鵜呑みにしてきたスコラ哲学の敗北は歴然としている。
「反駁したい点をいくつかお持ちになる方がいらっしゃれば、どなたでもごめんどうながら私の本の出版社あてにお送りいただくようにお願いします。出版社を通して知らせを受けしだい、私の回答を同時に添えるようにつとめるつもりです。こうした手だてによって読者は、両方をいっしょに見て、ほんとうかどうかをそれだけ判断しやすくなるでしょう。」(著作集1・p74)
このような真摯な態度は、今日でも模範とすべきではなかろうか。彼は『省察』という書物を、反論と答弁をつけて出版し、この約束を実現したといえる。うかつだが、この反論と答弁が付された『省察』を読みたくて、わざわざこの著作集を入手したのだということをいま想い出した。まだ、この『省察』読んでないけれど。
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