失われた時2010/10/15



眠りはいくぶん死に似ている。
最小限の生存を維持するための活動を除いて、
知覚は閉ざされ、すべての意志的活動は停止している。

眠りに落ちる半覚半醒時に、
現像液に浸されたフィルムから潜像が浮かび上がってくるように、
一片の記憶が蘇える。

おそらく小学生の低学年(おそらく2年生か3年生)の頃、
ある女の子の家を訪問した。母親があいさつに顔を見せたとき、
彼女が母親のことを「おかあさま」と呼んだのだ。

ただそれだけの記憶。
他のディテールはすべて決落している。
彼女の顔も名前も思い出すことができない。




それは驚きと疑いを生じさせる。
そんな些細なことが記憶されていることの驚きであり、
ほんとうにその事実を自分が経験したのかという疑いである。

すべての経験が記憶として残るわけではない。
記憶というものが定着するためには、何らかの理由が伴っているにちがいない。
母親の呼び名に関する記憶を掘り起こす。

いつの頃からか、母親のことを「お母さん」と、私は呼ぶようになった。
それ以前は違った呼び方をしていたのだが、おそらく何らかの体裁上の理由で、
呼び方を私の母が変えさせたのだと思う。

そのとき、母親のことを「おかあさま」と呼んだ女の子がいたという
思い出が新鮮な驚きとともによみがえり、
記憶が更新され定着した可能性がある。




なぜ、その女の子の家に行くことになった理由については、心あたりはない。
学校以外で女の子たちと遊ぶことはめったになかったし、
彼女にかぎらず、女の子の家を訪れたことは一度もない。

考えられることは・・・・・と、そうなる状況を推測してみる。
女の子は転校生で、仲良くしてもらうために親が同級生を自宅に遊びに来るよう
女の子に言いつけて、私(たち)が招かれたのではないか。

彼女の家は、町の唯一の商店街にあった。根拠があるわけではないが、
美容店か何かだったのではないか。そのとき、母親は仕事中の気配があったし、
そういう職業特有の派手な容姿だったような・・・・・。

しかし、母親の思惑どおり女の子とその後親しくなっていたら、
もっと憶えていてもいいはずだが、何らかの理由で疎遠になったというよりも、
もともと女の子どうしで遊ぶのが普通だったから、自然と忘れてしまったのだろう。




結局、印象に刻まれたのは、母親のことを「おかあさま」と呼んだことだけだ。
その他のことはどうでもよかったのだ、きっと。自分を「おかあさま」と呼ばせる母親は、
躾に厳しいか、もしかすると実の母ではないのかもしれない、と想像は飛躍する。

取り出された記憶は、連想によって次々に別の記憶と結びつき、
脈絡を求めて対話をはじめ、やがて、一連の物語に向かいはじめる。
偏狭な小さな町に、ママ母とともに越してきた、孤独で薄幸の少女。

もしかすると、これは夢なのではないか?
醒めた意識が、異議を申し立てる。
そうだ、これは夢だ。

不幸を引き寄せ、
愛と憎しみを演出し、
物語たらんとして、失われた時を探す夢。