タレーランのことば2010/01/22

― 自分の考えを隠すために、話をする能力が私たちに与えられているのだ。

"La parole nous a été donnée pour déguiser notre pensée."
We were given speech to hide our thoughts.


 革命期からナポレオン時代にかけて活躍したフランスの政治家・外交家タレーランが、1807年、スペインの使節イスキエルドとの会話のなかで述べたと伝えられるこの有名なことばは、政治・外交のなかで人間が使う言葉には、表面には現われない真実があることを示唆している。

 ことばの裏側に別の意味が常にあるとは限らないにしても、裏の意味をいつも推測する知的働きを怠るならば、政治の世界を生きてはいけないのだろう。私たち凡人はそんな技術を完全に制御できているわけではないし、そんなことを考えながら、日常を過ごすことは必ずしも愉快なことではないけれど・・・。

 また、このことばはイロニー論の古典ともいうべき、キルケゴールの『イロニーの概念』においても引用されている。その引用の後に引き続いて、彼は次のように記している。「(このタレーランのことばは)世界に対する深いイロニーをふくんでおり、さらに国策の面からも、< 世界は欺かれることを欲する、ゆえに欺いてやるがよい mundus vult decipi, decipiatur ergo >というもう一つの純然たる外交的命題に完全に対応している。」


 それにしても、昨今のマスメディアの検察リークのたれ流し報道の千篇一律さには驚く。スキャンダルにはその情報を流している者の思惑が見え隠れしていることは、相当のお人良しでもないかぎりわかるはずである。2chあたりでくだを巻いている、リアルな社会を知らぬ学生気分の者たちならいざ知らず、いい大人であるはずの者たちの、マスメディアの報道に対する画一的な反応ぶりは、なにか恐怖感すら憶える。


 わけ知りめいた言動をするつもりはまったくないのだが、懐疑の道を、このイロニーの迷宮に踏み込むことは、避けては通れない道なのだろうな、とふと考える。

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